引越しして、かなり物減らしたと思ってたけど、
まだまだ要らない、むしろ嫌いな物がいっぱいあった。
まだ使える、いつか使う、とか他の人にとっては価値がある、とか全部抜きにして、素直な心で、自分がどう思うかで、要らない物を選り分ける。
なんか箱に入れるか場所に置くかして。
そこではまだ細かい分別は不要。次々に積んでいけばいい。
試しに要ると思ってるけどモヤモヤする物を、要らない物として選り分けてみると、勢いつけて投げ入れてる自分が居る。
部屋も心も広く軽くなって、なんで今までやらなかったんだろうと思うと思う。
金持ってても(自分は薄給だけど)くだらない物買うだけだと思った。
金を失ったとしても、要らない物買うお金がなくなっただけ。実際多分本当そう。
物凄く金持ちじゃなくても、平均ぐらいでも、多分そう。だって買えるんだもん。なんとなくで買えるんだもん。
だから、金持ちを羨むのは馬鹿らしい事だと思った。どうせ彼らの大多数はいらないもんたくさん買い込んでるだけ。
モヤモヤを、好きで背負い込んでる。大枚はたいて。
美味しいもの食べまくって体壊したり、(うまいもんは時々だからうまい)自分の欲求を片っ端から叶えられるから叶えて、ズブズブになっていき、歯止めが効かなくなったり、
ちょっと欲しい、その時は猛烈に欲しいと思った物が家に増えていき、
整理整頓に時間を使う。
突き詰めて考えるという事をすると、発見がめちゃめちゃいっぱいあるけど、それも金持ちになったらやらないだろうなと思う。だって買えるんだもん。そんなに突き詰めて考える必要がないんだもん。
突き詰めて考えてると思っても、考えてない。“突き詰めて考えてる”と思ってるだけ。物があると、気づかずに物に引きずられる。
例えていうなら、スマホ見ないと決めてポケットにスマホ入れてるのと、そもそもスマホをポケットに入れてない、もしくはポケットに入れるの忘れた状態。似てるようで全然違う。
話し少し変わるかもしれないけど、
この前、水筒を洗ってた時に、
パッキンこそ洗うべきなのに、洗ってない。
パッキンは常に湿りやすくてかびやすくて、何故そこを洗わないのか?と思った。
余裕がないから。基本的掃除だけでいっぱいいっぱいだから。
基本的掃除も怪しいのに、そんなことしてられるか!とさえも思わず、心に蓋をして生きる。
実際は一番掃除しなきゃいけない排水溝とかは見て見ぬふり。
そこまで手が回らないしすでに酷い状態で、もう無視したいから。
という事で、激シンプルにしてやっとそういうとこまで手が回るって事は、激シンプルにしなきゃダメってことじゃん、と思った。
激シンプルが、残念ながら、基本です。異論は認めません、と言いきってしまおう。
諦めて、要らない物を、物凄く素直な気持ちで、選り分けましょう。
やる時は多分異常にダルくなるけど、やった後は、爽快。